シベリア鉄道
前回の話はこちらー「留学したが生活費が足りない」
もうすぐ7月….
初めての帰省に心沸き立つ。
バイトで貯めたお金をはたいて買った片道切符を手に、ヴィタリエはシベリア鉄道に乗り込みました。
多くの期待を背負って送り出されたヴィタリエ。故郷の家族、知り合い,友達、、、いろいろな人の顔が頭に浮かびます。
その頃、シベリア鉄道は北京からモスクワまで片道200ドルほど。モルドバまでは一週間ほどの旅となります。
北京へ法律を学びに留学していた代議士の息子と,ブルガリア人留学生が相部屋。代議士息子は父親の立場があるからか、政府から旅費が支給されたらしい。
もちろんヴィタリエにはそんな待遇は、ありません。
列車には食堂車があり、国境でその国のレストラン車両が接続されるので、中華料理、モンゴル料理、ロシア料理と、国境ごとにレストランがガラリとかわります。
が、ヴィタリエは買い込んだカップラーメンを食べたり、停車駅の食べもの売りのおばあちゃん達からピロシキなどの食べ物を買い求めます。
貧しい学生にはレストラン車両での食事は手が届きませんが、それなりに楽しい旅を過ごします。
美大生ヴィタリエ ズブコ、24歳。
いよいよ1年ぶりのモルドバへ到着!
はやる心で我が家へと向かいます。
懐かしい我が家。見慣れた村。
大好きなおばあちゃん,アレクサンドラ、優しいお父さんとお母さん、ゲオルギとアルティナ。妹のイヴドキア。
みんな元気で,大喜びして出迎えてくれました。
おばあちゃんの美味しいザマやママリガ。お母さんの美味しいサルマーレやプラチンテ、、、、
優しい家族としあわせな毎日!
光陰矢の如し。
8月になり、そろそろ北京へ帰る準備を始めなければなりません。新学期が始まるのは9月。
しかし、、、、戻る切符を買うための200ドルは一体どこから?!
当時のモルドバは、ソ連から独立してまもないころで、不穏な情勢、枯渇した経済のなか、国民は悲しみと不安を抱えてなんとか生活していました。
仕事もない、お金もない。
警察さえまともに給料をもらえないため、満足に任務を果たせない中、泥棒,ドラッグ、強盗が横行していました。
父ゲオルギが息子のためにお金を作りたいと思っても、ほぼ不可能でした。
知り合い、親戚、大学の恩師、、いろいろあてを探しますが、みつかりません。
お父さんの愛
そんな中、父ゲオルギが村の中でなんとか仕事を見つけてきました。
新しい家の建設を手伝う、という2週間ほどの仕事です。
かわいい息子にお金をあげられる!
夏の暑い中、泥や埃まみれになりながら、喜んで毎日働きました。
そして、いよいよ明日で仕事納め。
その日の夕飯は、アルティナが腕を振るって作った美味しいプラチンテ(チーズパイ)を家族皆で楽しみ、ヴィタリエとゲオルギは、親戚のドーニャおばさんの家へ飲みに出かけました。
お酒が入り,いい気分。いつになく話し込み,父は息子に熱く語ります。
「パヴルーシャ(ヴィタリエの通称)、お前はしっかり勉強しなさい。お父さんと同じような人生をおくるんじゃないぞ。お前のおじいちゃんもひいじいちゃんも偉い人だった。ひいじいちゃんは、最高裁判所の裁判官だったんだ。ソ連が来て,全てがこわされたけどな、、、、。パヴルーシャ、、、お前はこんな小さなところ(モルドバ)にいたらダメだ。外国で勉強して、大きく生きて欲しい」
よく日に焼けた腕で、ガシッと抱きしめられたヴィタリエは、あの懐かしい太陽の香りに包まれます。
むかしと変わらず木のように固くカサカサしたお父さんの手、、、愛情溢れるお父さんの手、、、ヴィタリエは胸がいっぱいになりました。
ゲオルギは、村の小さな図書館にある本をすべて読み尽くしたほど知識に飢え、頭が柔らかで賢い人でしたが、彼もまた、ソ連による社会崩壊の犠牲者の一人であり、苦しい生活を余儀なくされていました。
しかし、息子には自分と同じ悲しい人生を歩ませまい、と、息子の夢を支える愛に溢れた父親でした。
そんな素晴らしい父をヴィタリエは深く尊敬し、愛していました。
ゲオルギも、自分の教えどうり不屈の精神で夢を叶えようと邁進する息子を愛し、誇らしく思っていました。
短い一生を精一杯生きる虫たちの美しい声に包まれ家へと向かう父親の姿は、やがて夜の闇に紛れて見えなくなりました。
翌朝ー
親戚の家で目を覚ましたヴィタリエは、ギラギラと照りつける太陽の下、知り合いの井戸掘りの手伝いに出かけていきます。
一方、ゲオルギは、最後の仕事をおえたあと、仲間と少しのお酒でお祝いをし、達成感を覚えながら帰宅します。
まだ午後3時です。夕飯ができるまで横になって休むことにしました。
夕方4時ごろのまだ暑い中、友達が井戸掘りをするヴィタリエを呼びにきました。
「早く家に帰って!早く早く!」
「??…!! なに?なに?!」
「いいから!早く早く!」
何かあったのか?!!
ヴィタリエは胸騒ぎを感じながら走り出します。
家の前の道に差し掛かると、門のところの人だかりが目に飛び込んできました。
お父さんが死んだ、、、
「がんばって勉強しなさい、、、」
昨夜の抱擁と激励が最後になるとは、、、。
ヴィタリエは泣き崩れます。
その日の後刻ー
泣き腫らした目でヴィタリエをじっと見る母。その手にはお金が、、、。
「これ、お父さんが、あなたにって、、、。
お父さんが2週間働いてつくったお金、、、今日、パヴルーシャに、と預かってたの、、、少しにしかならなかったけど、キシナウに行って北京へ戻るための手続きをするためお金がいるだろうから、とお父さんが、、、」
父親が命を削って作ったお金。
それでも北京への費用には満たない金額、、、。
ヴィタリエは胸が切られるように感じ、うめきます。
しかし,皮肉なことにそのお金も、ゲオルギ自身の葬儀代へと散ってゆくことになります。
90年代のモルドバは、多くの人の苦労と希望が水泡と化した、悲しい悲しい時代だったのです。
次の日ー
48歳という若さで亡くなった父親の死因を確定するため、ソロカへ行こうとしますが、病院が空いていないとの情報が入り、やむを得ず危険地域であるトランスニストリアへ向かいます。
藁を敷き詰めたトラックの荷台にお父さんを横たえて毛布をかけて自分もそばに寄り添い、運転手にお願いして朝9時ごろに出発。
ときおり父親をさすりながらなにやら声をかけているヴィタリエの目から、涙がこぼれ落ちます。
武装した兵士のいる、ものものしいトランスニストリアの検問を無事通過し、11時ごろ病院に到着。しかしなんと、医者がいません。いくら待っても医者が来ないのです。権力のある裁判所にとりついでもらい、やっと医者がきたのは午後1時。
診断は、心臓発作。
3時ごろ,再び父親をトラックに載せてようやく帰路につきました。
土ぼこりをあげながら走って行くトラックの荷台でゆられているのは、肩を落として座る青年。時折り目を拭っています。
川は、水面に宝石を転がしながらいつものように流れ、牛はのんびりと草をはみ、子どもたちは、はしゃぎながら道をかけて行きます。
一筋の光
胸が張り裂けそうな日々、、、、。
父親の名を呼んで歩き回り、どこへ行っても涙するヴィタリエの姿。
悲しみにくれたヴィタリエは、しだいに北京へ戻る努力をしなくなります。
1日、また1日、、と時は過ぎて行き、やがて9月になります。
北京では、ヴィタリエからなんの連絡もないまま次の学期が始まりました。
お父さんとの約束は、志し半ばで終わってしまうのでしょうか。
家族,友人たちのたくさんの励ましに動かされ、ヴィタリエは力を奮い起こしてキシナウに向かいます。
在籍していた大学や学校の先生たちに連絡をとり、なんとかサポートしてくれる人を探します。 ありとあらゆる知恵を絞って、北京へ帰る方法を探します。モルドバ政府にも何度も掛け合いますが、
「担当者がいないので来週の水曜日きてください」。
翌週、希望を持って、きょうこそは!と出向くと
「今日も 無理です。来週木曜日」。
その度に延期。おそらくあきらめるまでこのゲームは続いたでしょう。政府が援助してくれる!と期待していただけに、辛い現実でした。
モルドバの首都キシナウで一年在籍した大学が、恩師たちの取り計らいにより寮に無料で住まわせてくれ、知り合いやら友人にお世話になりながら、北京へ戻るための資金探しを続けます。
ある日、いつものように淡い期待を抱いて、役所に出向き申請を出します。
役所を出ると、大学の若手の恩師、プロウシ・アレクサンドラにばったり出会います。
「ヴィタリエ、何してる?まだ北京にもどってないのか?」
事情を説明するヴィタリエ。
「まったく チキショーだな!!この国は!モルドバの将来だよ!こんな大事な学生たちを粗末にして! わかった!!先生がなんとかしてやる!」
この再会が、流れを変えることになります。
状況を真剣に受け止めたプロウシが、一生懸命に思いつく限りの方法、人脈を使い、サポーターを探し始め、やがてキシナウの大学の教授たちも真剣に動いてくれるようになったのです。
そして、一筋の光が差し込みます。
天才投資家ジョージ ソロス。
1982年のポンド危機での莫大な利益で名声を決定的なものにした人ー
一年前の1993年、慈善家だったソロスがオープン・ソサエティ財団を設立し、東欧の市民団体に援助の手を差し伸べており、それがモルドバにもタイミングよく届いていたのです。
「夢をあきらめてはいけない」
「モルドバからヴィタリエを羽ばたかせたい!」と願う恩師たちと、ゲオルギの願いとヴィタリエの夢を叶えさせたい!と願う家族の思いが実を結びます。
ヴィタリエは、最後の希望を託してソロス財団に接触します。
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