第7話: 北京での再スタート

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前回の話はこちらからー夢が壊れた日ー1994年

ヴィタリエが、北京に戻るためのスポンサーをみつけようと毎日苦労していた頃,ソロス財団はモルドバでは活動を始めたばかりで、ほぼ知る人はいませんでした。しかし、大学の教授プロウシの大いなる熱意と人脈が、ソロス財団を探し当てます。

希望を胸に、ヴィタリエはソロス財団の事務所へ!

そして、とうとう一ヶ月後。許可がおります。
当時は携帯もネットも普及していなかったため、その知らせは「ジプシー郵便局」により、ヴィタリエに伝わりました。といっても、実際のジプシーによるのでなく、ジプシー(現在はジプシーではなく、ロマという)方式。知らせを、次から次へと出会った人に話していき、いつしか本人の耳に届く,というやり方です。 
なるほど!これは参考になりますね。災害にあった時など連絡手段が途絶えた時は、とりあえず話して伝えていく。いつか、目当ての人の耳に入る,という具合です。

ソロス財団から北京へ戻る費用が受けられる,と聞いたヴィタリエは飛び上がって喜び、すでに北京へ戻ったかのように希望と期待に胸を膨らませ、すぐにチケットを買います。そして一度村に戻って皆に挨拶をし、シベリア鉄道に乗るためロシアへ向かいました。

モスクワには亡くなった父の弟が住んでいました。出発までそこへ泊まります。北京での冬支度のため、いとこは服をくれました。革ジャンやセーターなど。

叔父と叔母が持たせてくれたたくさんの食べ物をリュックに詰め込み、ヴィタリエは順風満帆で北京へと向かいます。

あやしい雲行き

北京へ戻ったのは,すでに11月になる頃でした。言語大学での一年が終わり、ヴィタリエは9月から中央美術学院に入る予定でした。
しかし大学では、ヴィタリエが、入学式にも新学期が始まっても姿も見せず、連絡も取れないため、大学に入学しないのではないかと思われていました。当の本人は、というと、自分は政府による留学生なので、国同士で連絡がいっていると思い込んでいたそう、、、、。

北京へ戻り,ヴィタリエは慌てて大学へ入学の申し込みに行きました。

大学の事務所で、「明日の午後来てください」と言われ、ほっと胸をなでおろします。


翌日午後、、、。


「今日は、できません。明日の午後また来てください」
「‼︎??」

モルドバの役場での門前払いがよみがえる、、、、。

愕然としたヴィタリエは、友人に相談しました。
話を聞いた友人は笑いだします。

「それは、午後じゃない,午前だよ!」

まだ中国語があまりできなかったヴィタリエは、聞き間違えていたのでした、、、。
(午前…シャン ウー 午後…シャア ウー)

そして翌日,午前に手続きに行って,無事に大学に入学することができました!
しかも、研修生という立場での授業参加。出遅れたヴィタリエは、一年生を2回、つまり、最初の10ヶ月は研修生、それが終わって晴れて新一年生という扱いになりました。

本入学は、来秋。通いながら待つことになりましたが、まだ中国語のつたないヴィタリエにとっては好都合。4年のところを、10ヶ月のオマケがついて約5年も学ぶことができるのです!
来秋までには中国語もできるようになっていることでしょう。

災い転じて〇〇となる、、、

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